俺なりに「TEXT」を咀嚼

アンジャッシュ渡部はモテんだろうなー。

ラーメンズ第16回公演「TEXT」テレビ放映後、最初のスタァビアですが、何故かアンジャッシュ渡部。これには色々あるんだよぉ。でも書きません。めんどくさいから。

周囲を置いてきぼりにしてラーメンズラーメンズとうわごとのように繰り返す我がブログ。言いたいことも言えないこんな世の中と(反町が)(大昔に)おっしゃいましたが、Webの匿名性を隠れ蓑に言い切るぜ。「TEXT」は面白かった!

ラーメンズのどこに惹かれると言われれば、美点は様々ございます。今回、特筆すべきは彼らのお家芸、ひとつの事象(あるいはベースとなるコント)をテーマに、あちこちからアプローチすることでまずは本来の意味を形骸化し、パロディというファクターで脚色したものを一歩退いた地点から見てメタ的な笑いを引き出す手法ですね。今作のあの「条例」コント集からはその真骨頂を感じました。言ってみりゃオンバトの「日替わりラーメンズ」や「ALICE」の「風と桶…」がツボなので、とにかくあのショートコントの畳み掛けに大ハマリってこと。
特に「ハリウッド条例」と「ミュージカル条例」における徹底した形式美には涙が出ます。爆笑と感動で。小林って人はハリウッドもミュージカルもちゃんと好きなんだろうなぁ。でなきゃここまで完璧なパロディはできないもんなぁ。一方で皮肉なくらい客観的に笑いの部分だけ引き出せるのも、常に「世の中に普通に転がっているものからどうしたら笑いが生めるか」考えて生きているから…だろうなぁ。わたしゃ小林って人には会ったことないから、真意は図りかねますけどね。ミュージカル中の仕掛けなんか特に舞台の人間にしか出てこない発想だわよ。私は真夜中に笑いながら「ミュージカルが嫌いなタモさんが、このコントを見たらどう思うか」考えてました。なんでそこで歌うんだよ。そりゃ突っ込みたくなるよ。(余談ですが、今でもタモさんはミュージカルが嫌いなのかしら?)

ただ、もうひとつのお家芸である「片一方が沈黙(無関心)、それの興味を惹くもう片一方」については、今回の「ジョッキーと馬(仮題)」はどーかなー。生で観た人には高評だったみたいだけど、私には「タカシと父さん」や「怪傑ギリジン」のような中毒性がないなぁ。これは、片桐がすっかりジョッキー馬逆仁になりきれちゃってる風に見えるからかも。
父さんもギリジンも、基本「片桐仁自身」のギリギリの必死っぷりを愛で、たまに見せる「片桐仁自身」の爆発的なアドリブ…に驚くためのコマだと理解しているので、馬逆仁、というか馬逆仁に至るまでの片桐仁の演技力の向上を目の当たりにすると、このギリギリ感も片桐自身のギリギリではない、ずばり演技である!と私自身に変なフィルターがかかってしまった、ような気が。「ものの本によると…」も根津サンセットカフェの謎のストリートDJ・闇のプロボウラー・時給800円のアルバイターであるジンさんにしか見えないし。それに加え、馬逆仁には父さんやギリジンが演目中にたまに見せる自信なさげな目がなくなって、大吟醸ばりの「お前らこっちみんな!」的な図々しさを感じる、のねー。あの大吟醸の矛盾は小林に求めるもので、片桐に対してはなかったからなぁ。今後、あの手のネタが出たらそういう目で観ればいいのかしら。(ちなみに大吟醸先輩の傍若無人な芸風、大好きです)

仁さん、汗だくでやってんのに「図々しい」て…。図々しいのは誰だって話よね。

最後のコントの切なさは、「鯨」の「器用・不器用」に通じるものがありました。これはまた、考えがまとまったら。
しかしここ数週間、genicoだチョコハンだと騒いでましたが、やっぱもっと「ラーメンズ」が観たいです。「TEXT」の小林さん(敬称略しません)、すっげいい顔してるんだもの!